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常滑焼 白い招き猫 右手招き
JPY 4,410.00
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オマツリジャパンのお店
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常滑の招き猫とは? 招き猫の始まりは江戸時代。 浅草で商売をしていた老婆が「夢に出てきた猫のお告げによって、土焼きの置物をつくったところ幸運なことが多く起こった」という噂話があり、招き猫ブームが生まれました。 やがて各地で招き猫が作られるようになり、まず焼き物の街・瀬戸の招き猫が脚光を浴び始めます。 そしてその50年ほどあと、今やスタンダードといっても過言で
はない常滑の招き猫が生まれたのです。 常滑の招き猫は、半田市の乙川人形がルーツ。 冨本人形園の冨本親男さんが完成させ、「大きな耳」「まあるい顔」「大きな(垂れた)目)」「金色の爪」「三毛の模様」「がっつりつかんだ大きな小判」「二頭身のフォルム」が特徴的です。 誰にでも受け入れられやすいかわいさから、高度経済成長期に人気に火がつき、多くの人々に親しまれるように。海外にも輸出され、常滑は現在、日本一の招き猫生産地となっています。 常滑市で招き猫とともに歩む 冨本人形展のお二人が描く、招き猫のこれから 大きな耳で、丸い顔、クリっとした垂れ目に、金色の爪。大きな小判に二頭身のフォルム。 そして三毛模様……。多くの人が思い浮かべるであろう、招き猫のシルエットはほとんどがこれらの特徴に当てはまっているのではないでしょうか? 実はこの招き猫の特徴、愛知県常滑市の梅月冨本人形園が広めていったものなんです。日本を代表する招き猫の特徴はいったいどのようにして生まれたのか?招き猫づくりを通して感じている想いとは? (株)梅月冨本人形園さんのお二人にお話を伺いました。 1年間で作る招き猫は約3万体 トレードマークのあのフォルムの原点とは 「あの招き猫のフォルムは常滑系と呼ばれ、戦後まもなく祖父が大量生産によって広めていきました。もともと近くの三河地方で陶人形文化が親しまれていて、そのなかで招き猫も作られていたんです。当時の招き猫は体が細くてキツネのような顔つきが主流でした。そこにヒントを得た祖父は、常滑市で活動する原型師たちと議論を重ね、現在のかわいい招き猫のフォルムを考案しました。」 そう話すのは、(株)梅月冨本人形園の代表取締役社長である冨本伸公(のぶひと)さんと、喜久恵(きくえ)さんご夫妻。お二人は現在(株)梅月冨本人形園の三代目として活躍されています。 「うちは代々、陶人形の製造をしていたので招き猫にもその製法が応用され、大量生産の体制が出来上がりました。そのおかげで高度経済成長期の波にうまく乗ることができ、全国に広めることができました。手順としては、原料を専用型に鋳込みしていき、固まったら仕上げ、乾燥をしていきます。その後、焼成して、地色を吹き付け彩色。全工程を経ると、大体一か月くらいかかります。」 現在、年間で作る招き猫は約三万体だといいます。しかし、その数は最盛期の半分以下だといいます。 二人が招き猫業界に足を踏み入れるまで 喜久恵さんは子どものころの思い出を振り返ってくれました。 「工場に並べられたたくさんの招き猫は、夜に見るととても怖かったですね 。ぎっしりと並んでいて、目だけ浮かび上がって……。明るいところで見たらかわいいんですけどね。 仕事としてみると、とにかく忙しいんだなという印象でした。母やおじいちゃんは夜遅くまでひたすら招き猫づくりをしていましたから。」 一方で、冨本家に婿入りした伸公さんは、招き猫づくりに携わったことで「学ぶことが多かった」と話します。 「常滑の出身ではないため、それまでは招き猫や陶器とは全く無縁の生活を送っていて、結婚と同時にこの業界へ入りました。 業界に携わってみてわかったのは、とにかく奥が深いことでしたね。職人さんの技量がほんとうに高く……。それに応じて一つの作品に込められる想いの強さにも感動しました。 『職人さんたちのすごさを吸収して、自分の招き猫づくりに活かしたい』と感じたのを覚えています。」 喜久恵さんは「20代半ばで二人とも家業に携わることとなったのですが、続けていくうちに要所要所でうちの招き猫を使っていただけるようになっていて……。招き猫熱も盛り上がっていって、とてもうれしく感じています。」 祖父の背中にあこがれて 梅月冨本人形園のモットー 「招き猫づくりで、モットーとしている想いがあるんです。」と喜久恵さん。「いろいろなところで聞かれるたびに『梅月冨本人形園の招き猫は、120%手作りです』と伝えているんです。100%は職人としてあたりまえ。残りの20%は職人の想いや愛情、真心を込めているんです。」 この言葉はあるとき、自己紹介をした際に、ふっと浮かんできたものだといいます。 「もしかしたら、ずっと見てきたおじいちゃんの姿に刺激を受けていたのかもしれません。おじいちゃんは本当に、亡くなるその時まで職人で。膝に招き猫を置きながら作業をしていて……。その背中はまるで招き猫と会話しているみたいでした。厳しい人で『見て覚えろ』と言わんばかりに、一生懸命仕事をして、本当に職人らしさがありました。 それと、おじいちゃんの使っていた筆は不思議といつまでも痛まないんです。私は今でも最後はダメにして、買い替えてしまうんですけど。熟練ならではの、しなやかな技があったんでしょうね。 そんなおじいちゃんの姿から感じたものを伝えようとして『120%』という言葉が出てきたんだと思います。」 常滑産の常滑系招き猫シェア100%を達成 梅月冨本人形園のこれから これからについて喜久恵さんは次のように話します。 「今、常滑系と呼ばれる招き猫を生産しているのはうち一社となり、常滑で生産している招き猫のシェアは100%となりました。でも、私たちはここからがスタートだと思っているんです。招き猫は今、知名度が上昇していますが、まだまだこれからも継続的に親しんでいただけるような仕組みづくりが必要だと思っています。」 続けるように伸公さんは「私たちはそれが『ファンづくり』だと思っている。」と話します。 「招き猫を買っていただいて、そこで終わりの関係ではなく、長くつながり合えるような関係性を作っていきたいんです。今、そのために情報発信を強化していますし、招き猫をモチーフとした新たな商品や新たな形の招き猫づくりにも挑戦しています。これからも招き猫を通してお客様の福やご縁をつないでいければと思っていますね。 招き猫と一緒に常滑の知名度を上げていって、お隣の名古屋に負けないように頑張っていきたいです。」 新たな挑戦として、招き猫をモチーフとしたTシャツやタオルを作ったり、コロナ禍を踏まえて手を挙げていない招き猫を作ったりしているという、お二人。 「顔を書かない招き猫や水玉、ストライプの子がいてもいいと思うんですよね」とお話する様子からは、招き猫界の未来が垣間見えました。